【連載】実体とかけ離れてきた日本語【筆箱編】

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COLUMN
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日本語は外国語もカタカナで表現したり、独自の和製英語を作り出したりと、様々な言語を取りこみながら日々進化を遂げる言語であるといえます。

しかしそんな日本語も古くからの表現に固執したり、言葉とモノの実体が時代とともにかけ離れてしまっているのにもかかわらず、同じ表現をし続けている言葉たちがあります。

連載初回は身近にある筆箱に関してをまとめてみます

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筆箱

最近はペンケースと呼ばれることも多くなってはきましたが、依然として筆箱と呼ばれることが多い

実際に筆箱に筆は一本も入っておらず、なんだったら筆と名前に入っている鉛筆すらない場合まであります。

筆箱の歴史

日本での筆箱の歴史は意外と浅く、明治時代以降に欧米から鉛筆が輸入された際に文房具をまとめて携帯できる専用の箱が作られたようです(出典

(出典:【連載】文房具百年 #13「筆箱 その1」https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/009345/

上の画像は明治41年(1908年)に特許申請されたブリキの筆箱の画像で、この時代までは筆箱に筆が入っていたことが分かります。この時代はまだまだ毛筆での学習等が行われていたことが見て取れます。

では一体いつごろから筆記用具のメインストリームが筆から鉛筆に変わったのでしょうか?

毛筆から硬筆へ

毛筆は高価な和紙が必要で貧困世帯には負担が非常に大きく、そればかりか筆・墨・硯などのセットが無ければ筆記することができず、なおかつ書いた後も乾くまで待たなくてはいけない時間のロスが指摘されていました。

そこで学習の現場ではロウ石をつかって半紙ほどの石に筆記する「石筆」が用いられましたが、これも重かったり高価であったり文字が消えやすかったりと不便が目立ち、結局は廃れてしまうこととなります

日本語版ウィキペディアの珍庵さん, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38158332による

そして明治末期から大正時代にかけて、やっと鉛筆と洋紙の低価格化が進み学校教育の中で鉛筆が使用されるようになっていったようです。

1922年に著された『国語教育』の中で「学生の筆記にも毛筆の用ゐられることはほとんどない。」との記述が確認できます。

なぜ未だに筆箱なのか?

前述の通り、筆から鉛筆へと筆記用具のメインストリームが移り変わったのは今から100年以上も前の話になります。

しかし未だに筆記用具を入れる箱や袋の呼び方として「筆箱」という呼称が残っているのは何故なのでしょうか?

原因は以下の説が挙げられています。

  • 鉛筆も筆だから変わらなかったんだという説
  • 毎日使用するものだったためずっと呼び方が変わらない説
  • 筆+箱=筆箱という名詞の内、箱という一文字がその概念表現機能を果たし続けているから説
  • 筆は筆記具全般を指す言葉でもであり文章を書くということの象徴でもあるから説

これらはあくまで一説とされており、特にこれが理由だという事でもなくこれらの説全てが複合的に絡み合い未だに筆記用具を入れる箱や袋を「筆箱」と呼称するのです。

次回は「歯磨き粉」「下駄箱」などを取り上げます

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