※この記事は飲酒を積極的に進めるものではありません。めちゃくちゃ前時代的な考え方であるのは重々承知です、個々人の許容量などを鑑みた上で適切な量の飲酒を心がけましょう
人間には色んな顔がある。家庭での顔・学校での顔・職場での顔・親としての顔…
理性のある人間はそれぞれがその時その瞬間の仮面を被ってその場をやり過ごす、心の壁やバリヤーを構築して本心を隠して生活を続けている
この人は本当はどんな人なんだろう?本心ではどう思っているんだろう?
ただ生活をしているだけでは決して暴かれることのないATフィールドみたいな壁や理性を崩す方法がある、酒を一緒に飲むことだ
お酒というリトマス試験紙
コロナ禍という未曽有の事態がおこったことで世間からお酒の席が無くなった。
お酒が一滴も飲めない方やお酒の席、ましてや人とコミュニケーションを取ることが苦手だという方にとっては朗報かもしれない
しかし飲み会が無くなるという事象自体は機会損失に他ならない。アルコールという人格判定においてのリトマス試験紙のような実験装置を失うことに他ならないからだ
高等生物である人類は理性という他の動物には持たない能力を得ることで社会性を得ることに成功したが、逆に言えば人類の本性は理性の裏側に隠れてしまったことになる
その本性を暴くことが出来るのがアルコールと呼ばれる物質なのだ。
アルコールは体内を巡回することで脳に達し、作用することで脳のはたらきをマヒさせる効果がある。この作用によってその人間が本来持つ人格というものを引き出すことができる
気分の高揚・絡み酒・テンションの上下…脳がマヒした状態で発現する性格ことこそ、その人間が本来持つ人格そのものなのではないかと筆者は考える
泥酔するという事
アルコールを摂取したことで脳の機能はマヒし、その人間の持つ本来の性格が発現する。これは他人にもいえることであるし、もちろん自分にも跳ね返ってくることでもある
酔った人間というのは大体めんどくさくなるものだ、理屈っぽくなったり・急に寝だしたり・吐き気を催したり…理性をかなぐり捨てたその姿を見せた時、私たちはその人に対して自分の中で判断を下す
その決断はこれからも付き合っていくか・否か、という極めて重い決断であったりする
人前で前後不覚になるまで泥酔するという行為は、自分の性格全てをさらけ出す行為であるともいえるという事に他ならない
裏を返せばもし一緒に飲みに行った人があなたの目の前で泥酔したならば、きっとあなたのことを信用しているのだろう。
何故ならあなたに見せてしまうであろう、泥酔することであなたにさらけ出される本性に対しての恐怖心がない、ということになる
また、泥酔することで自分だけで自宅へ帰ることが出来ないというリスクを背負うことになるが、あなたがいれば自宅へ帰れるだろうという無意識下のリスクヘッジができているということに他ならないからだ
つまりあなたの前で泥酔するということは、あなたはその人にとって信用に足る人間であるという証明になるのである
酔うという事
また逆の視点からしても、この人の前でなら泥酔できるという視点は直接その人との関係性を占うことが出来る
自分の本性を晒しても大丈夫、この人が居れば無事に家に帰れる。という安心感がなければ泥酔する覚悟はキまらないだろう
自分が泥酔できるという環境を作ってくれる人は、自分を守ってくれる存在でもある。
こうした関係は生涯大事にした方が良いと筆者は思う
自分探しという飲酒
この多様化した社会において、自分がどういう人間なのか?という疑問にとりつかれた方は多いのではないのだろうか?
自分が一体どういった人間であるのか分からないという方は一回アルコールを摂取して前後不覚になってみてもいいかもしれない。
アルコールを摂取した自分を客観的に見るのは一緒に飲んだ人に聞くしかないが、本当の意味で自分を客観視できるのは理性を無くした姿しか無いなのかもしれない。
理性を無くした自分に失望することも多いかもしれないが、それによって反省もきっとあるに違いない。
酔いはヒント
酔うと愚痴しか言わないなら、今自分が不満になっていることに対して素面で行動を起こすべきということだし、酔ったことで失礼な行動をしてしまうということは日ごろのストレスが溜まってしまっていることに他ならない
つまり酔った時に自分や他人が起こしたアクションは、その人を読み解くヒントがあるということになるのだ
泥酔とまでいかなくても、酔った人間は素面の状態よりかも理性を削がれた状態になる。あなたがお酒を少しでも飲める体質の方ならば、その人の人となりを知りたければ是非お酒の席を設定してほしい。きっとその人をより深く知ることが出来ると思う。
まぁ何が言いたいかっていうと、自分に合った飲酒量で楽しくお酒をたしなんでほしいと思うんだな
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