一ボーカリストの半生を映画化した伝記映画にもかかわらず、大ヒットを飛ばしたアカデミー賞受賞作!
作品名(評価):ボヘミアン・ラプソディ(S +)
制作(公開年):イギリス・アメリカ(2016)
監督:ブライアン・シンガー
主演:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン他
あらすじ
1970年、ロンドン。
ライブ・ハウスに通っていた若者フレディ・マーキュリーは、ギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーのバンドのボーカルが脱退したと知り自らを売り込む。
二人はフレディの歌声に心を奪われ共にバンド活動をし、1年後、ベーシストのジョン・ディーコンが加入。
バンド名は<クイーン>に決まり、4人はアルバムを制作し、シングル「キラー・クイーン」が大ヒット。
個性的なメンバーの革新的な挑戦によって、その後もヒット曲が次々に生み出され、フレディは“史上最高のエンターテイナー”とまで称されるようになる。
しかし、栄光の影で次第にフレディはメンバーと対立し孤独を深めていくのだった…。
(公式サイトより引用)
なぜ彼は孤高のカリスマになったのか?
今作は今なお存在するクイーンという伝説的バンドの伝記映画であり、クイーンのフロントマンであったフレディ・マーキュリーという稀代のボーカリストの人生を追った映画だ。
視聴後に感じるのはきっと、フレディが孤高の天才であったということであろう。
生まれについて
ここからは何故フレディが孤高の天才となっていったのかを考察していきたい。
まずは人の根幹を成す生まれについてだ。
そもそも彼はフレディ・マーキュリーという名前で生まれては来なかった、出生名はファルーク・ヴァルサラ。
ここからも分かるとおり彼は生まれもイギリスではなく、当時イギリスの保護国であったザンジバルにて生を受けている。
その後幼少期のほとんどをインドで過ごし、1963年・17歳の時に家族の都合でインドからザンジバルへと渡るが、その翌年にザンジバル革命が起きたことによって家族と自身の安全のためにイングランドのミドルセックス州へと移り住んだ。
フレディは多感な時期である10代に3つの国を渡り歩いたことになる、しかもその内の一つは身の安全のために国外脱出したのだ。所謂難民だった。
アイデンティティの脆弱さ
日本に住む我々は、なんだかんだで自分の事を日本人であると思っているし、自分の国になんらかの愛着を持っている。自身の地元にも同じことが言える、地元のなじみの場所、お店、友達…これらは自分という人間を構成する重要な要素たちである。
それは気づかないうちにパーソナリティやアイデンティティの一部に組み込まれているだろう。
対してフレディはどうだっただろうか?
10代という多感な時期に、自分の知らない土地や人や文化に立て続けに晒されている、命の危機まで体験しているのだから転勤族の子供とはわけが違う。
そんな状況で確固としたアイデンティティやパーソナリティは芽吹くだろうか?
このアイデンティティやパーソナリティの脆弱さが彼を”孤高”にした一つの要因であると思う。
コンプレックス
フレディには多くのコンプレックスがあったように思う。
移民
フレディはイギリスでボーカリストとしての才能を開花させたが、生粋のイギリス人ではなかった。
排外主義者からは目の敵にされる移民であって、有色人種でもある。移民の多いイギリスだが、今のようにポリティカルコレクトネスが重要視されていなかった1970年代、きっと気持ちいい思いばかりではなかったはずである。
容姿
フレディは上顎前突、つまり出っ歯であった。
歯列矯正が当たり前で、歯並びが悪い奴は自己管理能力に欠けているとまで思われてしまう欧米において、彼の出っ歯は決して周りにいい印象を与えなかっただろう。
しかし、映画では出っ歯によって口腔内で音が響くので良いんだという旨の発言をしていたため、周りの目は気になっていても彼にとっては良い特徴の一つであったのかもしれない。
宗教
フレディの親であるボミとジャーはイスラム教徒ではなく、拝火教と言われるゾロアスター教の信者であった。ただでさえ被差別的に扱われる南アジア出身者で、さらに鳥葬という珍しい風習が残る世界最古の一神教と呼ばれるゾロアスター教を親が崇拝している。
これもやはり周りは良い顔をしなかっただろう。
セクシャリティ
様々な人の情報から察するに、彼はバイセクシャルであったようだ。
青年期はクイーンのメンバーであるブライアン・メイから紹介された女性と付き合うなど、ヘテロセクシャルな一面を見せていたが、後年は男性を集めて乱パするなどかなりあらぶった性生活を送っていたようだ。
しかしこれも、現在ほど理解の進んでいなかったが故のセクシャルマイノリティに対する偏見と、身体構造上の性別と性自認の差に悩んだ末の孤独感を埋め合わせるための行動だったのではないだろうか。
名前という仮面
さらにパーソナリティの脆弱さと、自らのコンプレックスを感じさせるエピソードが”フレディ・マーキュリー”への改名だ。
前述の通り、彼はファルーク・バルサラという名で生まれているのだが、クイーン結成時に改姓している。
普通であれば名前というのは一生ついて回るもので、アイデンティティの根幹をなす一部のはずである。しかし、そもそものアイデンティティが脆弱であった彼にとって、コンプレックスの詰まったファルークという名前はタダの名詞にすぎなかった。
インド出身の青年は”フレディ・マーキュリー”という仮面を被ったのだ。
結果この改姓からフレディは不世出のボーカリストとしてその名を轟かせていくことになる。彼は一生をかけて完全無欠のボーカリスト”フレディ・マーキュリー”を演じていたのかもしれない。
改姓までして遠ざけようとしたコンプレックスやアイデンティティの脆弱さは、決して彼の元から離れることはなかった。その結果として出来上がったのが孤高の天才だったのではないだろうか?
総評
この作品から音楽と絡めた名作がヒットしたのは記憶に新しい、『YESTERDAY』や『カセットテープ・ダイヤリーズ』などそのどれもが面白い作品である。
しかしどの作品も移民の少年が音楽を通して成功するが、とあることから孤独を感じ、周囲の人間と絆を深めるという似通ったものとなっている。それもこれもボヘミアン・ラプソディのフォロワーであるからなのであろう。
ラストシーンのライヴエイドはそうした音楽をテーマとした映画の最高峰だ、迫力・感動・カタルシス、おおよそ2時間という時間では体験できないはずの感情が沸きだす。
ファルークという名前はアラビア語で物事を分断する者という意味だ。文字通りファルーク・バルサラが生まれてきたことによって時代は分断した、フレディマーキュリーが存在する前と、した後に。
(ヒュ~かっくいい)
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