怪談の類型に見る時代の変遷4

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COLUMN
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怪談は天皇や高貴な人物しか登場しなかった古代、一般庶民が登場し仏教的道徳を説くようになった中世を経て、江戸時代に庶民の娯楽としてエンターテイメント化しました

時代はやっと近代へと進みます

拙稿は時代考証などしていない個人の考察です、あしからず。

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近代の怪談

人魂 幽霊

江戸時代を経て明治時代になると、海外からの科学的な知識が入ってくるようになります

墓場を浮遊する人魂は土葬された人から出てきたリンと雨水が化学反応してできた偶然の産物

金縛りはレム催眠中に脳が活発に働いてしまったことによるもの

科学的な分析がはじき出したものは幽霊などの超自然的事象をことごとく否定するものばかり。怪談はそうした科学的根拠を叩きつけられ窮地に立たされたように見えました

しかし怪談はそんな逆境に立って尚輝きを増すことになります

科学的根拠があっても尚理解の出来ない出来事が起こること、それこそ怪談なのだと。

不条理という恐怖

不条理 ナンセンス

前述した人魂や金縛りなど、近代に入り科学的考察によって真実を暴かれた怪談は数知れません。

一方で怪談には呪い・祟り・バチ…”科学的根拠を並べたとしても説明のつかない事象”を取り扱うものも多く存在したのです

ある種不条理と呼んでも良いであろう呪いや祟りといった恐怖体験は、科学的根拠を逸脱したことにより人々により強い恐怖と嫌悪感を与えることに成功したのです

未知のウイルスの毒性について人々は勝手に想像を膨らませ恐怖を感じるように、人間という生物は未知のものや常識外の事象に対して警戒心が非常に強く生まれてきたこともその後押しとなりました

人と人との距離

インターネット

またそんな不条理な怪談は現代になりさらに進化を遂げます

近代までの怪談は危害を加える怪異と登場人物が何らかの共通点があったり、因縁や危害を加えることの理由が存在することが普通でした。

これは当時SNS、ましてやインターネットなどが存在せず、それだけ自分と他者の心理的距離感が近く不条理な存在であるはずの怪異ですら自分と同じような価値観で存在するであろうという意識が働いていたものであると思われます

怪異というのは超常現象であるが、発生するには理由がある。あの忌まわしい事件があったから、この土地に怪異が起こるのだろう。という理由づけが容易だったのです。

しかし現代に入ると人間は画一的なものではなく、匿名でなんでもモノが言えるインターネットやSNSが隆盛するようになると人と人との心理的距離が離れていくようになります

他者の気持ちを計り知れない現代、SNSの炎上や通り魔・ジョーカーなど…思いもよらないことで他者の攻撃を受けることが不思議ではなくなってしまったことで怪談はより不条理なっていきました

その場所に立ち入っただけで、鏡の前で○○してしまっただけで…という登場人物に全く非がない状況にもかかわらず怪異が牙を剥いてくるようになったのです。それも怪異の理由などは全く明示されないまま。

怪談は現代に入ったことで、究極に不条理な恐怖を植え付けるエンターテイメントとなったと言っていいでしょう。

怪談は世相を映す

古代から中世~近代そして現代へと怪談の変遷を追っていくと、古代では怪談は支配階級を中心としたものであり天皇のバックボーンを支える要素としても存在していました

中世では怪談は仏教を広げるための要素として、仏教説話の性格が強いものが多く市民に対し仏教的道徳を説く内容のものが多く存在すると同時に、怪談が支配階級から市民のもとへと裾野を広げた転換期ともいえる時代となりました

近代に入り科学的知識が流入し始めると、怪談はその科学的根拠を逸脱することで人々に新しい恐怖を植え付けることになります

現代、人と人との心理的距離が離れていくことを反映したように怪談はより理不尽に凶悪に変質していきました。

このように時代を経るごとに怪談は変質していくと同時に、時代に合わせてアップデートされていったのです。

果たして10年後・20年後怪談はどういった種類の進化を遂げているのでしょうか?非常に楽しみになってきませんか?

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