オリンピックで行われた”政治的な行動”の歴史 ブラックパワー・サリュートとBLM

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オリンピック 政治 歴史 COLUMN
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コロナ禍に行われている東京オリンピック

日本人選手のメダル獲得に話題は集まりがちですが、実はもう一つ東京オリンピックが革新的である点が一つあります

それがIOCの定めている五輪憲章第50条の緩和です

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五輪憲章第50条とは?

そもそも五輪憲章とは何なのでしょうか?Wikipediaを紐解くと以下のような記述があります

オリンピック憲章(オリンピックけんしょう、英語: Olympic Charter)は、国際オリンピック委員会(IOC)が定めた近代オリンピックに関する規約。

私的団体であるIOCが定めた規約であり、国家間で合意して定める条約ではない。

Wikipediaより抜粋

五輪憲章とはオリンピック開催にあたっての規範を示したものだそうで、全61条の条文から成り立っています

その第50条で定められているのが広告、デモンストレーション、宣伝についてで、特に重要なのが3項にて示されている下記の文章です

オリンピック開催場所、会場、他のオリンピック・エリアにおいては、いかなる種類の示威行動または、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動も認められない。

これはオリンピックが平和の祭典でありながらも、スポーツ自体の宗教や政治からの独立性を保障している条文と言えます。もちろんとある一定の国や宗教を賛美するパフォーマンスは論外ですが、この条文によって対差別のパフォーマンスも禁じられてしまっていたのです。

1968年メキシコシティオリンピック

そんな対差別のパフォーマンスが問題となったのは、今から半世紀ほど前の1968年メキシコシティオリンピックで起きたとある事件が発端でした。

その事件”ブラックパワー・サリュート”は男子200m走の表彰式で起きました


メキシコシティオリンピックではトミー・スミス(米国・黒人)、ジョン・カーロス(米国・黒人)らが表彰台を独占すると考えられており、彼らも当然表彰台へ上るつもりでいました

そして彼らはその表彰台で”サリュート(=拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為)”を行う事を事前に決めていたのです

メキシコシティの前回大会である1964年東京オリンピックの前まで、アメリカは有色人種への差別行為が当たり前に行われていました。有色人種用の公衆トイレ、白人専用の優先席…そんな有色人種への差別を撤廃しようと奮闘したのがキング牧師でした

キング牧師の活躍により1964年に「公民権法」が制定され、有色人種の選挙権が認められ人種差別は根絶されるはずでした。

しかし差別は無くなりません、有色人種への暴力、住居や商店への放火…レイシストの意識はそんなに簡単には変わらなかったのです。そして極めつけがメキシコシティオリンピックが開催される半年前の4月に起きたキング牧師の暗殺。

普段は迫害されるのにオリンピックには国の威信をかけて走らせる…こうした一連の出来事はジョンとトミーにサリュートを行わせる動機となったわけです

ブラックパワー・サリュート

そして男子200m決勝の前日、オーストラリアの白人選手ピーターはジョンとトミーと知り合います。年齢も近かったこともあり彼らはすぐに打ち解けました。

このピーターという青年はメルボルン郊外のコーバーグという町の貧しい家庭に生まれ、敬虔なクリスチャンである父親に「肌の色など関係ない。人間はみんな平等なんだ。それを忘れてはいけない」と言われて育ちました。

父親の教育のおかげでオーストラリアの推進していた白豪主義に染まらず、ピーターは有色人種を差別する側には一切立たなかったと言います

そんなピーターは所謂ダークホース、国内からも期待はされていませんでしたが決勝レースで自己新記録となる20秒06を叩き出し、当時世界一位であったジョンを抜き晴れて表彰台へと昇ることになりました。

オリンピックでメダルを獲得することは名誉はもちろん、金銭面での恩恵も受けられます。貧しさに喘ぐ暮らしからやっと抜けられる、そんなチャンスがピーターに訪れたのです

事前にジョンとトミーがサリュートを行う事を知っていたピーターは二人に話しかけました

「それで、僕は何をしたらいい?」

ピーターは白人であるにも関わらず、”有色人種への差別に反対する”というオリンピックの禁忌であるパフォーマンスに参加したのです。

ピーター自身はサリュートを行いませんでしたが、ジョンとトミーがサリュートを行う中、表彰台に立つ彼の胸に光っていたのは「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)のバッジでした。

その後

このブラックパワー・サリュートは大きなバッシングを浴びました、スポーツに人種的プロパガンダを持ち込むな!という声が大きかったためです

この行為によってジョン・トミー・ピーターの人生は大きく狂っていくことになります。

ジョンとトミーはアメリカナショナルチームから除名されオリンピックから追放されてしまうことになります。同じくピーターもオーストラリアのヒーローから一転、鼻つまみ者へと転落。

次の大会のミュンヘンオリンピックの予選会で3位という好成績を残したのにも関わらず代表に選出されることは無かったのです。

ピーターはその後アキレス腱の怪我が壊疽し片足を切断し、不遇の年月を過ごしました。晩年は鬱とアルコール中毒に冒されて生涯を終えることになります。そんな絶望の中でもピーターはサリュートに加わったことに後悔は無かったと語ったそうです。

ブラックパワー・サリュートは国や一個人を攻撃するようなパフォーマンスではありません、差別に対抗する意思表示に加担しただけで三人は選手生命を絶たれてしまいました。

こんな理不尽が当時はまかりとおっていたのです。

東京オリンピック 女子サッカー

ブラックパワー・サリュートから53年が過ぎた日本で東京オリンピックが開催されました。

その東京オリンピック女子サッカーで革新的な出来事が起こります。試合開始前に片膝をつくアクションを通して両チームが人種差別に抗議したのです!53年前ならナショナルチームから追放されるレベルのパフォーマンスが再び行われたことになります。

しかし、両チームに処分はなされません。それというのも今回大会からIOCが五輪憲章第50条の条件を緩和し、片膝を立てる行為などの『意見表明』が事実上容認されたことによります

意見表明とはずいぶん各方面に気を遣った表現になってしまってはいますが、53年前のブラックパワー・サリュートからBLM運動の勃興を受けジョン・トミー・ピーターの魂はやっと形になったのです。

ピーターがもし存命で、この光景を目にしていたら…一体どんな言葉を残してくれていたのでしょうか

オリンピック

コロナ禍に行われる初のオリンピックということで、賛否の別れる催しとなってしまったのは非常に残念ですが、日夜行われる熱戦はもちろん人権意識も過去大会と比べて優れた大会となっているのは間違いありません。

願わくば、ピーターが望んだようにオリンピックを通じて差別がなくなりますように。

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