ファニーゲーム 不条理な暴力

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B級作品
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休暇を過ごす家族に突然降りかかるデスゲームを描く、ミヒャエル・ハネケ監督が世に送り出した余りにも不条理な作品を徹底考察する。

作品名(評価):ファニーゲーム(B+)

制作(公開年):オーストリア(1997)

監督:ミヒャエル・ハネケ

主演:スザンヌ・ロタール、キーファー・サザーランド他

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あらすじ

穏やかな夏の午後、バカンスのため別荘へやってきたショーバー一家。

そこにペーターと名乗る見知らぬ若者がやって来る。はじめは礼儀正しいペーターだったが、仲間のパウルが現れる頃には態度が豹変。

やがて2人は皆殺しを宣言し、一家は彼らに夜”ファニーゲーム”の参加者にされてしまう。

センセーショナル

視聴後に嫌〜な気分になる“胸糞映画”の代表として2ちゃんねるのコピペにも登場する今作

その凄惨な内容からカンヌ映画祭に出品された際、高名な監督や批評家が途中退席したという。

まぁそんな話はスプラッタ映画なんかでよく聞くので、特別大したことではない

では何故この映画が2ちゃんねるのコピペになるまでの胸糞映画となったのか?

それは我々に暴力と死の理不尽さを痛感させる内容に理由がある、それだけセンセーショナルな演出とストーリーだったのだ

理不尽

どんなスプラッタ映画もスラッシャー映画も理不尽さと後味の悪さを兼ね備えているのがポピュラー。しかし、今作はそれらと一線を画す理不尽さと後味の悪さを持ち合わせている

作中登場する家族は何一つ悪いことをしているわけでもないのに、突然現れた若者2人組のデスゲームに巻き込まれてゆく

2人と面識があったわけでも絡みに行ったわけでもなく、不条理に。妻は夫と子供の前で裸に剥かれ夫は足を砕かれる

さらに形勢逆転したかと思えば全てを無に帰す衝撃の展開と、1時間49分の上映時間を通して非常にストレスフルな内容となっている

多少の救いも安寧もなく、一家団欒の場をぶち壊され蹂躙され尽くす。今までどこかで聞いたようなシチュエーションではないだろうか

ペーターとパウル

無辜の民が理不尽に蹂躙され死んでゆく…そんなシチュエーションで思い出すものがある。

戦争が正にソレだ

平穏に暮らしていた者たちが、権力者や為政者の都合で戦闘に巻き込まれたり理不尽に殺される

この映画に登場する若者2人組は、権力者や為政者を象徴しているように感じる(ペーターとパウルという名前の由来はキリスト教の聖人からきているが)

自分たちの都合で一家を蹂躙し、都合の悪いことがあっても帳消しに出来てしまうパワーを持っているからだ

我々はスクリーンという物体を通してその凄惨なシーンを見ることになる、そして一家を助けることは到底叶わない。

一方でパウルはこちらにウインクしたり質問してきたり、視聴者を意識しているようなメタ要素を時折見せる。

コレがまたゾッとする

我々がたどり着くことのない次元へと持ち前のパワーを使って踏み込んでくるのだから。

ゾーニング

また、この映画にはもう一つミソがとなる部分がある

とにかく悲惨な目にあうショーバー一家だが、凄惨なシーンはスクリーンに映らない

悲痛な犬の鳴き声、テレビや壁に飛び散った血糊、床に倒れたままの人間。全て事後の状態で登場し我々はその過程を想像するしかない、一番エグいシーンはあえて見せないのである。

日本では事件・災害・紛争のニュースがあったとしても、視聴者に配慮した形で遺体などはほとんど報道されることはない。現場はどんなに悲惨な状況であったとしても我々は事後の現場を見て想像を膨らませるしかない、一種のゾーニングがされているのだ。

被害も犠牲者の数も我々にとっては記号的な情報に過ぎない、しかし現場では確かに人が死に追いやられている。今作では日本人が慣れきってしまったゾーニングと、その裏に実際にある悲惨な状況を想起させた。

海外は日本と比べ悲惨な写真や映像を報道することから、監督が意図したものではないだろうが。

総評

今作は善良な一家がとにかく酷い目に合うことから”鬱映画”のコピペに登場するのではない

終盤のまさかの展開はもちろん、メタ要素を盛り込むことによって暴力や理不尽が身近なものであることや、いかに日本における報道がゾーニングされたものであるかを分からされる内容となっているからなのである。

私我々が日ごろどんなに平和にのほほんと暮らしているかを再確認すると同時に、この映画を鑑賞することでペーターとパウルの行うファニーゲームに加担することにもなる。なんとも複雑な体験ができる怪作だ。

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