いまや怪談師といわれる職業まで出現し、怪談を聞きながらお酒を飲めるバーまで存在するほど市民権を得た怪談
実は時代の変遷とともに類型が変化しているのはご存じでしょうか、現在の怪談へと至る様子を時代を追って考察してみました。
※あくまで素人の考察です、時代考証などしていませんのでご了承下さい
怪談の始まり
怪談の変遷を語る上でまずは怪談の誕生は外すことができません。では怪談は一体いつから存在していたのでしょうか?
Wikipediaによるとこんな記述があります
元来、死に関する物語、幽霊、妖怪、怪物、あるいは怪奇現象に関する物語は民話伝説、あるいは神話の中にも多数存在する。
『今昔物語集』(「霊鬼」)など、平安時代末期(1120年頃)の古典文学にも多数の怪談が収録されているが、それらを題材にしてまとまった形で残っている物では『雨月物語』(1776年)が有名である。
Wikipediaより引用
日本の神話を紐解いてみれば、日本の生みの親であるイザナギとイザナミの”黄泉平坂(よみのひらさか)”でのエピソードというものがあります
黄泉平坂のエピソード
イザナギとイザナミは国造り(=S〇X)をしていたところ、カグツチという子をもうける。
しかしこのカグツチは火の神だったこともあり、イザナミは出産時に陰部を火傷しそれが原因で死んでしまう
へこんでしまったイザナギは死んでしまったイザナミを追い黄泉の国へと赴く、そこでイザナミと再会し帰ってきてほしいと伝えるが「黄泉の神々に聞いてくるのでちょっと待ってほしい、あと私の姿は見ないでね」と言われる
律儀に待っていたイザナギであるが、遂にしびれを切らして持っていた櫛の歯に火をつけてイザナミの姿を見てしまう
そこに立っていたのは体中が腐り蛆が沸いたイザナミだった…
こうした「見るなのタブー」といわれるエピソードの類型は”パンドラの箱”や”ソドムとゴモラ”など様々な国の神話や民話に登場しますが、日本のように怪談となっているものは他に類を見ません。
つまり日本における広義の怪談は「古事記」にあるような神話の代から存在している歴史あるものということになります。
また古事記や日本書紀が編纂された時代の怪談は神々や天皇を中心としたもので一般市民が主人公となるお話はほとんどありません、この奈良時代ではまだまだ字を読み書きできる者は少なく、貴族や官人や僧侶など位の高い人物に限られていたためだと思われます。
そのため祟りという概念も神のみに使用されていていました、当時は祟りすら高貴で力のあるものにしか不可能であると考えられていたのかもしれません
では奈良時代には民間で怪談が無かったのかといえば、そんなことはありません。民間による怪談は文章で残らなかったというだけで、口語という形で脈々と伝えられていくことになります
古来、怪談は神々や天皇のものだった
次回 怪談の広まり へ続く
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