※時代考証などしていない素人の考察です、特に責任は取らない所存です
怪談の広まり
古事記や日本書紀が編纂されてから100年ほどが経ち、日本は平安時代へとさしかかります
平安時代初期は最澄や空海といった高僧が幅を利かせていた時代でもありました、そのため仏教が国を治めるにあたって非常に重要なファクターとなります
そこで仏教の教えを広く普及させる必要があったのです、そんな中822年ごろに編纂されたのが『日本国現報善悪霊異記』でした
日本国現報善悪霊異記は仏教説話の性格が強いものが多く、悪いことをすればいつか罰せられる・いいことをすれば報われる、といった勧善懲悪的なお話が多く盛り込まれており市民のモラルを高めるという目論見も垣間見られるほか
仏像とか僧侶は大事にしようネ!という仏教思想を色濃く反映した内容となっていました。
もちろんこの説話集の中には霊や怪物が出てくる怪談も含まれているのですが、従来は神や天皇のみで構成されていた怪談に民衆が登場するようになります。
この時代は怪談が民衆へと裾野を広げ始めた転換期と言っていいのかもしれません
怪談の大衆化
日本国現報善悪霊異記から約300年後、当時の日本は平安時代の末期。
平安時代といえば藤原道長という名前を憶えている方も多いかもしれません、道長は天皇家に自分の娘をめちゃくちゃ嫁に行かせ子供を産ませて自分が実権を握るという「摂関政治」を行いました
そのためこの時代は天皇家が権力を持たず、より世俗的な存在となっていきます
それに伴い、いままで書物として残っていたような怪談は天皇や神々のもとから一般市民のところまでより裾野をバックリと広げることになります。
そうして出版されたのが「今昔物語集」でした
この説話集は仏教的側面を持ちつつも百鬼夜行などの有名なエピソードを収録するほか、浜にバカデカい死体が打ちあがった話など、ただ単に不思議な話をも収録されていました
また芥川龍之介はこの今昔物語集をベースに『鼻』や『羅生門』といった小説を出版しており、近現代文学にも影響を与えた説話集ともいえます
ただしこれら平安時代の怪談は短編が多く、まだまだ現代の様なエンターテイメントとはいえませんでした
怪談に物語性が加わるのは平安時代からさらに時代を経ることになります。
平安時代、怪談は民衆へと裾野を広げた
次回 怪談のエンタメ化へ 続く
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