スタンド・バイ・ミー 毎日が楽しかったあの頃を想う

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MOVIE
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仕事や勉強に追われる毎日、ふと思い返すと郷愁に駆られる子供時代の出来事を映像化したような一本を考察していく

作品名(評価):スタンド・バイ・ミー(A+)

制作(公開年):アメリカ(1986)

監督:ロブ・ライナー

主演:リヴァー・フェニックス、キーファー・サザーランド他

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あらすじ

1959年の夏、オレゴン州の田舎町

12歳の少年4人は、性格も個性も異なっていたが仲良しで、いつも一緒に遊んでいた

そんなある日、行方不明の少年の死体が線路上に放置されているとの噂を聞きつけた彼らは、死体探しの旅に出かける

何は無くとも楽しかったあの頃

禁止されている学校の屋上に上がって星を見る

何キロも離れた隣町まで自転車を走らせる

コンビニ前で何時間も話し込む…

今思えばどうしてなのか分からないが、楽しくてしょうがなかった思い出が誰しもあるのではないだろうか?

それは多少危険な出来事だったかもしれないが、今でも自分の中で思い出と経験として残り続ける。

そんなあの頃、あの出来事を追体験できるのがこの『スタンド・バイ・ミー』という作品だ

思い出が刺激される

少年時代の冒険の解像度が高いのは言わずもがなであるが、この作品を傑作に押し上げているのは“あの頃だけ仲の良かった友達”という思い出を刺激する点にある

小学校・中学校・高校・大学・社会人と、人は所属する集団が変化する毎、成長する毎にさまざまな人間と出会い別れていく

その中で一生付き合うことになる友人や伴侶もいれば、「中学一年の頃だけよく話した」なんていう刹那的な関係を築くこともある。

我々が人生において出会う人間の大体は、年数を経る毎に疎遠になっていく。しかしどんなに刹那的な関係であったとしても、その人との思い出は確実に存在し続ける

今作は中年となった主人公が、疎遠になってしまった悪ガキ仲間を回想する形で物語が進んでいくが、

同時に視聴者も自らの人生を振り返り、楽しかったあの頃の出来事や友人に思いを馳せてしまうのである

ゴーディは何故泣いたのか

物語の終盤、ゴーディはブラワーの死体を見つけ周りを憚らず号泣してしまう、いったい何故だったのだろうか?

これはゴーディが兄・デニーの死を実感したからだ

ゴーディは交通事故で一瞬にして亡くなった兄デニーの死を本当の意味で理解できてはいなかった

デニーが居なくなってからそこまで時間は経っていなかったし、家族の中で唯一の理解者であった兄がこの世からいなくなってしまった現実を受け入れることができずにいた

しかし、列車に跳ね飛ばされ生々しい礫死体となったブラワーを見たことで、死というものの本質を理解した。優しかった兄は二度と動くことはなく、目の前の死体のようにただただ無惨な死を遂げたのだということを。

列車と自動車という死因も似通っていたことも、そうした連想を助長したのだった。

結果ゴーディは目を背けてきた兄の死という事実に直面し、兄を亡くした喪失感を遅れて実感したことで号泣するに至ったのである

空に向けた空砲の意味

ブラワーの死体をエースたちと取り合うシーンで、ゴーディはクリスの持ってきた拳銃を天に向けて撃つ

兄の死に向き合ったゴーディが取ったこの行動は、エースたちへの威嚇射撃と別の意味が生じる

この天への一撃は兄に送る意思表示でもあった

ブラワーの死体を持ち帰り、あくまで自分達が目立とうと目論んでいたエースの行為は死んだブラワーへの冒涜だ。ブラワーは列車、デニーは車と乗り物によって命を絶たれたという共通点の多さから、遺体の尊厳を守ることがデニーへの手向にもなるとゴーディは考えた

そしてゴーディは天へと弾丸を打ち込むことになるのだが、これは「自分は1人でもやれるよ」という天国にいる兄へ決別と自立する意志を示した一発だったのだ

この『スタンド・バイ・ミー』という作品は、少年たちの一夏の冒険を描くと同時に兄の影に隠れていた1人の少年の自立までを描いた成長物語でもある

総評

誰しもが持つ懐かしい記憶を刺激してくれる作品でもあるし、年代や属性によって様々な感想を抱くことができる正にスペシャルな一本。

89分という短い映画ながらも、満足度が高いのもおすすめポイントの一つ。できれば少年時代に見ておきたかったなぁ…

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