CUBE一度入ったら、最後は邦画の○○を集めたフランケンシュタインの怪物だ

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MOVIE
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ソリッドシチュエーションスリラーの先駆けとして映画史に燦然と輝く名作『CUBE』

そんなCUBEを日本でリメイクしたら…

内容に関するネタバレがあります、ご注意下さい

作品名(評価):CUBE 一度入ったら、最後(C-)

制作(公開年):日本(2021)

監督:清水康彦

主演:菅田将暉、杏、斎藤工 他

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あらすじ

突然閉じ込められた男女6人。

エンジニアの後藤裕一、団体職員の甲斐麻子、フリーターの越智真司、中学生の宇野千陽、整備士の井手寛、会社役員の安東和正。

年齢も性別も職業も、彼らには何の接点もつながりもない。理由もわからないまま、脱出を試みる彼らを、熱感知式レーザー、ワイヤースライサーや火炎噴射など、殺人的なトラップが次々と襲う。

仕掛けられた暗号を解明しなくては、そこから抜け出すことは絶対にできない。体力と精神力の限界、極度の緊張と不安、そして徐々に表れていく人間の本性…恐怖と不信感の中、終わりが見えない道のりを、それでも「生きる」ためにひたすら進んでいく。果たして彼らは無事に脱出することができるのか?!

公式サイト(https://movies.shochiku.co.jp/cube/)より引用

何故?

ヴィンチェンゾ・ナタリ(wikipediaより引用)

原作『CUBE』の監督ヴィンチェンゾ・ナタリは何故このリメイクを許可したのだろうか、自分の作品がこうもチープな仕上がりになった事に対して沸きあがるものは無かったのだろうか?

原作では「作られたから動かした」という目的の分からない無機質な恐怖と、傾向と対策を見極めて失敗を回避する人生を凝縮したようなシステムという深淵なテーマがあったように思う

今作の全編を通して描かれるのはCUBEの名を借りた何か。最高の素材を用意しておきながら出来上がったのは意外性も何もないデスゲーム。

フランス料理のフルコースの材料を使ったのにもかかわらず、ただのサンドイッチしか作れなかった。

さらにこのサンドイッチ、日本映画の悪い所を集めて作られたフランケンシュタインの怪物なのだからタチが悪い、さながら人間の都合だけで生まれ利用された『ミュウツーの逆襲』のミュウツーを思い出してしまう

ターゲット層の誤り

菅田将暉などのティーンに人気な俳優を起用し、主題歌は星野源という気合の入りようは評価できる

が、若者向けに極振りしたがために全年齢が見ることのできるレーティングに設定され、原作CUBEでの見どころの一つであったゴアシーンが非常にマイルドな仕上がりになってしまっているのだ

原作冒頭、人間がワイヤーでサイコロステーキにされてしまうシーンはCUBEを代表するもので、一瞬で人が肉塊になっていく様が生々しく表現されていた。「コレは凄い映画だ…!」と誰もがグッと心を掴まれただろう

しかしリメイクではただ腹に風穴が空いて肉で出来た豆腐がボテンて落ちるだけ、血も出ない。

全年齢作品の限界を感じた。

そもそもCUBEは出演する俳優で見る映画を決めるような層が視聴するものではなかったはずだ、グロ耐性があるのを内心自慢に思っていて教室の隅っこでニヤニヤしながらオリキャラ書いているような奴が好んで見るような作品だったはずじゃないか!!

なぜ全年齢が見れるようなレーティングに設定してゴアシーンをおろそかにしたのか?これによってCUBEの魅力が一つ減った

オリジナル要素の意味

今作はリメイク作品にも関わらず登場人物や結末を原作から大きく変えており、オリジナル要素を見どころの一つとして挙げている

しかしそのオリジナル要素を突っ込んだ意味はあったのだろうか?

原作改変の一つである登場人物変更で追加されたキャラクターであるが、なんと中学生。

もうこの中学生という設定だけで「あ、このキャラクターは死なないな」と分かってしまう、そして本当に死なない

原作でいう脱獄犯レンとクエンティンの両方の要素をくっつけたようなキャラクター井手寛(演:斎藤工)も、

ただモノではない雰囲気を漂わせキューブの外で待つ誰かの事を仄めかしながら、結局なんの伏線でもなくただの整備士だった

オリジナル要素の目玉である結末の改変も、人間の手が介在していないかのような機械的で無機質な雰囲気が魅力であった世界観を破壊するようなものだったと思う

総じてオリジナル要素を追加する意味が感じ取れなかった

ザ・邦画

最後にして最大の過ちが、邦画の悪い所を寄せ集めたような作風

まず登場人物が心情やバックグラウンド含めてぜ~~~~んぶ口に出して説明するところだ。特に岡田将生の日頃の不満を独白するシーンはほんとに1から100までを全て説明するから見ていてウンザリする

そして「ココが見せ場ですヨ!」ってとこであからさまにスローモーションと怒鳴る演技をぶちかましてくるところ。菅田将暉が狂気に駆られた岡田将生と部屋に取り残されてしまうシーンは本当に酷い、あの演出が許されるのは劇場版のコナンだけだろう

本当に脚本や演出がしっかりしていれば観客はセリフの行間で全てを察することが出来るだろうし、良いシーンなのであればワザとらしくスローモーションなどせずとも感動することが出来るはずだ。

現在TVのバラエティではVTRの最中でも常に芸能人の顔がワイプに表示されている。

ワイプの中で笑ったり怒ったり驚いたりする芸能人を見せることでTVの制作側は我々に「ほら、今が笑う所ですよ!今が泣く所ですよ!今が驚く所ですよ!」と伝えているのだそうだ。

つまるところ我々視聴者は製作者から丁寧に説明しないと意図が伝わらないと思われているということになる。

この醜悪なフランケンシュタインの怪物が誕生してしまったのは、「これだけ説明しないとあなたたちは分からないですよね?」というように観客があまりにも舐められすぎていることにも原因があるのかもしれない

総評

『CUBE一度入ったら、最後』という作品は日本のエンタメ界が衰退している現状を端的に表す良いサンプルだ

叫ぶ演技、スローモーション、意味のないオリジナル要素。この作品に凝縮された悪癖を見なくなる日が来るならば、それが邦画にとって長く暗かった夜が明ける合図なのかもしれない。

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