昨今怪談がめちゃクソ特大流行り、怪談師という職業まで登場して人気を博しています
そこで、筆者が体験した唯一の怪奇現象をしたためてみようかと思います
ヤマなしオチなしです時間を無駄にしたとかいう文句は受け付けません、空虚な気分になってください
きっかけ
筆者は元々霊感は0、そこは今も昔も変わっていません。心霊写真を見てもどこに幽霊が写っているのかすら分からないほどの鈍感ぶりでした。
そんな筆者が何故心霊現象を体験することとなったのか
きっかけは小学五年生でのY県への家族旅行でした
S荘
狭い生活圏内で生きる小学生にとって、家族旅行は外の世界と繋がることのできる唯一のチャンスでした
幸いなことに父親は車の運転と旅行が好きというハッピーセットな人間だったため、毎年どこかしらへ車で旅行に出掛けてくれたのです。
当時の旅行といえば親の言う所に連れて行ってもらうだけで、よっぽど子供ウケしないような所でなければものの30分で飽きて次に行きたいと言うのが通常でした
その日もY県の名所を周り、その日予約した宿に着きました。
名前は確か“S荘”
恐怖の夜はそのS荘で幕を開けることになります。
前触れ
今回の旅行は両親と祖父母と筆者の5人旅行、S荘に着くと2部屋を予約していたようで隣同士の部屋に案内されました
そこでまず気になったのが部屋の名前
“マリア部屋”
“キリスト部屋”
S荘自体の外観自体は純和風な民宿といった出立ちにもかかわらず、鶴や松など雰囲気に合ったモノではなくキリスト教関係の名前が付けられていたのです
「なんだこのネーミングセンスは…」
強烈な違和感を覚えたのを記憶しています
就寝
夕食を堪能し風呂に入ってから両親と別れ祖父母の部屋であるマリア部屋に戻ってくると、
たらふく飲んだはずの祖父は一人またお酒を飲み出したので祖母と私は布団に入ることにしました
慣れない環境で寝つきが悪いのでは…と思いましたが、昼間の疲れもあってかすぐに意識が遠のいていきました
部屋の角
意識が遠のいてからどれくらいの時間が経ったのでしょうか、筆者は不意に目が覚めました
あたりを見回すと祖父も祖母も寝息を立てています、天井から吊るされた常夜灯のみが部屋を薄ぼんやりと照らしています
『….….…』
ふと、何かが聞こえる気がしました
『….….…』
再び寝に入ろうかとも思いましたが、段々とその何かが耳に入ってくるようになりました
『….……ア』
やっと聞き取れるかというような音は徐々に意味を持ち出します
「声…?」
『….…ア.…ア』
『ア….ア….ア….』
疑念は確信に変わりました
その音はやはり声であり、しかもどんどん大きくなっている。
そう認識した途端、全身が粟立つのを感じました。これは尋常ではない。
何故ならその声は部屋上方部の角からハッキリと等間隔で聞こえてきたのです
もし隣のキリスト部屋で両親がおっ始めていたのならば、部屋の角からは声は聞こえてこないでしょうし、何より声質が明らかに母のものではありません
『ア・ア・ア・ア』
か細かった声は今はハッキリ聞こえます、その声は千と千尋の神隠しのカオナシを更に低くしたような声でした
もしコレが隣の部屋から聞こえる父の声であるならばどれだけ怖さが和らぐか…
どんなに違う事を考えようとしても嫌が応にも耳と意識はそちらに引っ張られます。
しかしこの夜はコレだけでは終わらなかったのです
外からの音
暇を持て余したり何らかのストレスを与えられたりした時、実際に経過する時間に対して体感する時間が長く感じることがあります。
今回の体験も例外ではなく、部屋の角から声が聞こえていたのは実際数分間だけだったのかもしれませんが、体験した筆者にとっては延々と響いていたような気さえしました
「いつになれば消えてくれるんだよ…」
と途方に暮れかけていたころ、さらにもう一つの現象を体験することになります。
「~…~…」
筆者はまたしても音が聞こえることに気が付きました、どうやら今度は窓の外から聞こえてきます
「ピ~ヒョロロロ~」
ガヤガヤ…
何故だかわかりませんが、窓の外からは祭囃子のような笛の音と、おばさん数人が井戸端会議しているような声がうっすらと聞こえてきたのです
部屋の角から聞こえてくる声と同様、窓から聞こえてくる声もこの世のものではない。というのが本能で分かります、だって夜中に祭りなんて絶っっっっ対ねぇからです
終演
気づけば部屋の角からの声も薄れ、外からの祭囃子とザワザワした騒音のみが聞えてくるようになりました。
部屋の角よりも窓の外の方が物理的にも遠く、心理的にも祭囃子の方が恐怖感は薄くなります。そうなってくると深夜という事もあり徐々に眠気が勝ってきます。
筆者が気づくと、既に窓からは朝日が差し込み鳩が鳴いている声が聞えました。突然やってきた怪異たちとの別れは、これまた突然だったのです(ただ眠気に負けただけ)
終わりに
さてヤマもオチもなく意味もない所謂「ヤオイ」な話でしたが、いかがだったでしょうか?
実話怪談といえば”洒落怖”のような明確なオチなどなく、とにかく不条理であやふや。しかし実際に体験してみると、確かに実話怪談は本当の体験が基になっている可能性が高いのかもしれません。
あとホラー映画などで怪奇現象が起きると、その原因を探るべく主人公が動いたりするシーンがありますが実際は怖すぎて無理です。怪奇現象をただただ享受することしかできません。
あれはフィクションだ、それだけはお伝えしたかった。
コメント