『ゲット・アウト』で初監督作品ながら全世界の度肝を抜き、『アス』でその人気を不動のものとしたJ.ピール監督待望の新作。
一見すると繋がらない散りばめられた映像の意味を考察していく
作品名(評価):NOPE/ノープ(A+)
制作(公開年):アメリカ(2022)
監督:ジョーダン・ピール
主演:ダニエル・カルーヤ、スティーブン・ユァン他
あらすじ
田舎町の牧場に空から異物が降り注ぎ、牧場経営する一家の父が息絶える。
現場にいた長男は、謎の飛行物体を目撃していた。
やがて、妹と共に動画撮影を試みた彼は、想像を絶する事態に見舞われる。
チンパンジーが起こした惨劇

作品の冒頭から登場するチンパンジーのゴーディが引き起こした惨劇
実はこの事件には元ネタがある。
2009年に飼育されていたチンパンジー・トラビスが飼い主の知人女性を襲い、耳や顔面を食い千切ったという事件だ。さらにこのトラビスはゴーディ同様CMなどに出演していたアニマルアクターでもあった。
ただ本作のゴーディはこの事件のオマージュをしたのではない、過去奴隷や被差別階級として良いように使役されていた黒人を象徴しているのだ。
これは今作の最初に映し出される聖書からの一文からも読み取れる
私はお前に忌まわしい汚物をぶつけ、卑劣な扱いをし、見せ物にする
人類史を紐解けば大航海時代を皮切りに西欧諸国は有色人種の中で、とりわけ黒人の生殺与奪の権を握った。奴隷として黒人たちはアフリカから劣悪な環境下で海を渡り、自分の意思に関係なく戦闘や労働に従事させられ笑いものとされた。
正に卑劣な扱いをし、見せ物にしたのである。
同様にゴーディもジャングルから自分の意志と関係なく連れてこられ、自分の意志と無関係に調教されアニマルアクターとして見せ物にされたのだった。

ある程度大人になったチンパンジーは群れを守るために獰猛になる、日本ではチンパンジーは生命や財産に危害を与える恐れがある動物として政令で定められた特定動物に指定されていたりもする。
ゴーディもそんな獰猛さが風船の破裂音で触発され危害に及んだのかもしれないが、作中の文脈でいえば人間に対する反逆を成し遂げようとしたのだろう。
同様に過去アメリカでも1831年にナットという黒人奴隷主導による大規模反乱が起こった。奴隷を解放しようとする動機であったが、女子供関係なく50人以上の白人を虐殺したため後世では評価の分かれる事件である。結果としてナットは逮捕の6日後に絞首刑に処されることとなった。
ナットの反乱もゴーディの暴走も、隷属した者への反抗がきっかけとなり両者とも最後は殺されてしまった事は共通していることからも、こうした黒人と奴隷の歴史を暗喩しているのではないだろうか。
直立した靴とジュープ
ゴーディの事件にはもう一つ特筆すべき部分がある。
事件の舞台となったシットコム『ゴーディズホーム』に出演しながらも唯一無傷で生き残ったジュープと、惨劇の場となった収録現場で直立していた靴である。
ジュープは何故危害を加えられなかったのか?

ジュープはゴーディが隷属した人間の大人ではなかったからだ。
ゴーディは自分を不当に住処から連れ出し、意志と関係なく見せ物にした者たちが憎かった訳で。言うなればジュープも自分の意志と関係なく台詞を言わされるだけの大人の操り人形であって、ゴーディと同様な立場にいたといえる。
そのためゴーディの標的からは外れ、普段通りのグータッチをするに至ったのである。
直立していた靴にはどんな意味があったのか?

事件の現場で直立していた靴をジュープは強烈に覚えていた、それは絶対に起こり得ないであろう一種の奇跡が起こっていたからだ。
そしてゴーディに殺されることも想定していたのにも関わらず、自分に全く危害を加えずあろうことか普段通りのグータッチまで求めてきたのである。これも一種の奇跡だった。
この2つの奇跡が重なることでジュープはある全能感を得るに至った
「自分は特別な人間、選ばれた人間である」と
直立していた靴、これは後に現れるUFOを自分の管理下に置こうとするという無謀さにつながる伏線だったのである。
UFOとは何だったのか

劇中最悪の奇跡を引き起こしたUFOは何を暗喩していたのか?
UFOは人類にの手中にあって手中にないもの、つまりは“自然”そのものだった。
雲の中にある事は確かなのに何もかも打つ手がない、というのは正に地震や異常気象をはじめとする天災と同じ要素を持っていた。
UFOはジュープによって馬を供することで人類の管理下に置かれたかと思われたが、結果として人類に牙を剥いた
原始宗教は人智を越えた自然の力を畏怖し、どうにかその怒りを鎮めようと生贄や供物をささげた。時代が進みそうした人智を越えたものと交信できるシャーマンが現れたが、天災を克服することは現在の技術をもってしても不可能である。
ジュープはこのシャーマン的立ち位置を模索し供物を捧げたが、UFOが司る自然・天災は管理することはできなかったのである
UFOの捕食対象
劇中登場するUFOは船ではなく一種の生命体であり、馬をはじめとした有機物を捕食する事でエネルギーを生み出していることが分かる
そして旗やテントなどの布が彼ら彼女らの気管を詰まらせ、健康を害することが分かった
そして彼や彼女らが捕食対象とするのは、”自らと目を合わせた者”に限ることが判明するが、これは一体何をしめしているのだろうか?
目を合わせる=意思表明

日本人はマスクに対して抵抗感はそれほど無い、口を隠していたとしても冬の時期であればインフルエンザの予防や乾燥対策などマスクに対して非常に寛容な種族であるからだ。
これは日本人という種族が、口よりも目に重点を置くことを強調するものである。
例えば日本人は”目は口ほどのものを言う”という慣用句を使う、どんなでまかせやおべっかを使おうとも目を見ればその人の真意がわかるという意味である。
日本語圏で生活していると、英語圏とは意識の差があると言われることが多々ある。しかし英語圏にもThe eye is the window of the mind.(=目は心の窓)という表現が存在する
つまり人間という同じ種族で存在する以上、目は非常に重要な意味を持つという共通の意識があることを意味する。
目を合わせる=意思表明なのだ。
我々日本人が使う慣用句に“目を凝らす“というものがあるように、我々は何か問題があればその対象に向けて視線を送ることとなる。同様に解決できない問題から“目を逸らす”という慣用句もある、人間は自分達で解決できそうな事案に関しては目を向けることができるが、自分達がどうにもできない問題に関しては目を逸らすことで向き合わない。
UFOに視線を向けるということは、UFOという巨大な対象に関して真剣に対応することを表明したことになる。UFOに対して敵意を示したことと同義だからこそ、UFOは目を合わせたものを捕食対象として追ってくるのだ。
現代の西部劇

今作は現代の西部劇と言える。
Wikipediaによると西部劇のプロットいえば従来は1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するものだった。
アメリカに住む白人の自己肯定感をくすぐるストーリーはなぜか全世界で流行、娯楽映画の側面を持ちながらもアメリカの新大陸侵略の歴史を正当化するプロパガンダをも担っていた。
時代は過ぎポリコレによる社会的に正しい考え方が世の中を席巻すると、西部劇というジャンルは人種差別や開拓時代に行われていた虐殺などアメリカの負の側面をことさら強調するものとなっていく。
”西部劇”というジャンルは現代社会にそぐわない過去の遺物となっていったのだ。
翻って今作をみていく。
物語のプロットは世界初の映画に登場する黒人騎手の末裔たちが、自分たちの牧場を侵略者であるUFOから守りぬくというもの。
過去の遺物として存在していた西部劇とは全く逆なのである、
侵略者としてその地に降り立ち先住民と相対するのではなく、もともと土着していた人物たちが侵略者であるUFOと戦っているし
白人が先住民の有色人種を打ち倒すのではなく、登場する人物のほとんどが有色人種で主人公は黒人。
西部劇をすべて逆にすることで、侵略の歴史を肯定してきた物語が途端にエンターテイメント的にもポリコレ的にも合格した作品に生まれ変わった。
これこそが完成された現代の西部劇なのである。
総評
『ゲット・アウト』ではサイコホラーを、『US』ではスラッシャー、そして今作『NOPE』ではSFアクション西部劇と、ジャンルを垣根を越えるJ・ピール監督。改めてそのカリスマ性を全世界に示した作品となった。
黒人というルーツを活かした作風は、前作『US』で少し説教臭い印象を受けた。しかし今作はそれらをエッセンスとして加える程度に抑えSFアクションものとして脳味噌空っぽでも楽しめるエンタメ作品へと進化を遂げている。
終盤では『AKIRA』でのシーンをオマージュしたアクションもあり、いろいろな側面から楽しむことができる良作だ。
コメント