透明人間 視認できない悪意

スポンサーリンク
MOVIE
この記事は約4分で読めます。

原作小説は“SFの父”H・Gウェルズが発表した1897年のもの、1世紀以上も愛されるアイデアを現代風にリブートした一本。

スポンサーリンク

あらすじ

映画『透明人間』予告編

富豪で天才科学者エイドリアンの束縛された関係から逃げることの出来ないセシリアは、ある真夜中、計画的に彼の豪邸から脱出を図る。

失意のエイドリアンは手首を切って自殺をし、莫大な財産の一部を彼女に残したが、セシリアは彼の死を疑っていた。

偶然とは思えない不可解な出来事が重なり、それはやがて、彼女の命の危険を伴う脅威となって迫る。

セシリアは「見えない何か」に襲われていること証明しようとするが、徐々に正気を失っていく。

(公式サイトhttps://toumei-ningen.jp/より引用)

無い無い から ありそう へ

初出となった1897年の透明人間は、天才科学者が自身の発明した薬品と特殊な照明を当てることで体をスッケスケにした。

電話は辛うじてあったがインターネットもパソコンも無かった時代、なんと足尾銅山鉱毒事件がリアルタイムで進んでいた1897年。この時点では人類や物体の透明化などフィクションの出来事。この時点では“無い”話だったのだ。


時は進んで2020年。

現代風にリブートされた透明人間は進化を遂げた、現代に蔓延るDVや被害妄想をストーリーに組み込み、現代テクノロジーの粋を集めて透明人間をスーツ化することで“無い”話から“あるかもしれない”へと変化をしたのだ。

123年の時を経てもなお、古典は進化し続ける。それをまざまざと見せつけた一本である。

透明化が暴くもの

しかし物語の本質は時を超えても変わらない、時代時代でストーリーは若干の変更はあるものの“透明になることで発露する人間の悪意”が描かれている。

透明という言葉自体は、純真さや綺麗さなどネガティブな要素はほとんど含まれていない。それが“人間”という言葉がくっついてしまうことで、何故か邪なイメージになってしまう。

毎度毎度透明化する人間が悪意を持っているのではなく、透明化することで邪な思いを持ってしまうのだ

そう考えると透明化というのは匿名化に近いものがあるのかもしれない、実名制である実生活よりも匿名化で好き勝手ができるインターネットの世界を見れば一目瞭然だ。

人々はヘイトにまみれた罵詈雑言を書き連ね、違法な音楽や動画を視聴し、殺人の依頼までもが出来てしまう

インターネットという匿名の世界は、我々人類に途方もない自由を与える対価として理性を持って行ってしまった。昨今のアメリカ大統領選挙やQがそのいい例であろう。

ここまでは何となく思いを巡らせることができたのだが、透明化する人間は何故か身体能力も強いっていうのはあんまり納得はいかない。

科学者ってそんなにマッチョか?

ヒョロガリじゃない?


ちなみに透明人間はお国柄も出る。

アメリカでは今作の様に、透明化で殺人や割と重大な犯罪を犯したりする。

対して日本ではどうか、我が国にも代表的な透明人間の作品がある、『Oh!透明人間』だ。


日本の透明人間は、スケべに全振りしている。

監督の力量

リブート作品というのは非常にリスクが高い、総じてオリジナルを超えることは難しく賛否両論の中でも否定の意見が大きくなりがちでもある。

そんな中、100年以上擦られまくった透明人間を担当したのがリー・ワネル。『SAW』を生み出した天才脚本家、そして『アップグレード』の監督でもある。

前作『アップグレード』で多用した人物の顔を中心として周りの景色が動いていく撮影技法や透明化をうまく使ったアクションシーン、本来であったら何も無いはずの空間を長回しで撮影することによる恐怖感の演出など、監督の力量を随所に感じることができる。

総評

技術的には未知のものなのに、もはや古臭くなっていた透明人間というアイデアを上手いこと現代ナイズした一本。

変な濡れ場や間延びもせず、ホラー映画としては若干長い2時間を飽きさせることなく魅せる監督の力量の詰まった映画であると思う。

同じコンセプトで撮影された『マミー』が大ゴケしているので若干不安もあるが、この勢いでドラキュラやフランケンシュタインなんかのリブートも見てみたいものだ。


コメント