イチローや中田英寿のように華々しく引退していくスターもいれば、
泥をすすって現役を続け後戻りが出来なくなる、そんなスポーツ選手も星の数ほどいるという現実をまざまざと見せつけられるのが今作「レスラー」です。
あらすじ
人気レスラー「ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソン」は1980年代に一世を風靡、富と名声を欲しいままにした。
時は巡って20年後、中年となったラムはスーパーでバイトしつつ細々とプロレスを続けるしがないレスラーとなっていた。
そんな折、 人気絶頂期対戦したライバルとの20年ぶりの再戦が決定し、
再び日の目を見るチャンスが舞い込んできた。
しかし長年肉体を維持するため続けたステロイド剤による心臓病で倒れてしまう、
心臓のバイパス手術を受けた後、医者に宣告されたのは「激しい運動の禁止」。
それはプロレスを引退することを意味していた。
ラムは引退を機に、疎遠になった娘や思いを寄せる年増のストリップ嬢との交流を経て新たな人生を歩もうと決めるが―
ロッキーの対極
レスラーはロッキー・ザ・ファイナルの対極のような映画です。
ロッキーは60近い年齢になっても驚くべき肉体改造、そして周りの人間の支えで時のヘビー級チャンピオンに食らいつき接戦を演じました。(別エンディングでは何と勝ちます)
しかし、実際そんなことは天地がひっくり返ってもないんです
(そりゃ映画だからね、と言われたらそれまでなんですが)
関節は錆び、肉体は衰え、ただのレストランを経営していた半分おじいちゃんがボクシングやるってだけでおかしいんです。
そんなフィクション部分をばっさり切り落とし、リアルを追求したのが今作です。
つまりはロッキーのように愛した妻は居なくて、支えてくれるトレーナーも居らず
唯一の親族である娘とは絶縁中。肘も膝も壊れ片耳も難聴、おまけに心臓はボロボロ。
そんな耳を塞ぎたくなるような状況のラムこそリアルなんです、現実なんです。
残された場所
ロッキーにとってリングは戦闘の場であり、自己表現の場でもあり、勿論帰るべき場所でもありました。
加えて、ロッキーにはリングの他にも自分のレストランである”エイドリアン”や義兄でもあり友人のポーリーなど帰ることのできる場所が複数あったのです。
究極言ってしまえば、別にリングに上がる必要など無かったのです。
それを努力と家族愛でカムバックしたからアツかったんです。
しかし「レスラー」のラムは違いました。
職場も、好意を寄せる相手も、血を分けた娘にさえも拒絶され
本当の意味で残された自分の居場所がリングにしかなかったのです、それがたとえ命を削ることになろうとも。
プロレスしかやってこなかった不器用すぎる男に胸打たれます。
背中
作中散見されるシーンがラムの背中を手持ちカメラで追うものです。
背中というのは父性・度量・その人の人生そのものを象徴することもあるパーツですが、今作ではそのどれにも当たりません。
ステロイド漬けとはいえ鍛えられた背中は確かに大きいですが、
とても頼りなく自暴自棄さや不満が満ち満ちているのです。
あえて顔を映さないのは視聴者に想像力を膨らませるのも勿論の事、スポットライトを浴びることができず”主人公”になれない現状を暗示しています。
現に終盤のリングへの入場シーンはラムを真正面から捉えています、
最後の最後にラムは再び”主人公”になることが出来たのでした。
プロレスリングというスポーツ
劇中赤裸々に綴られるのはなにもラムの生きざまだけではありません。
「ブック」の存在や、肉体を維持するために薬物漬けになっているレスラー、
小人プロレス、そして引退後の壮絶な後遺症。
普段はタブーとされているプロレスの裏側までも鮮明に描き出しています。
いま現在、日本でもプロレスブームに沸いていますが、
華々しい世界の裏には決して奇麗ごとだけでは済まされない現実があるという事を再確認させてくれます。
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