『リング』『発狂する唇』の脚本を担当した高橋洋監督作品。
オカルト誌のパイオニア武田崇元氏が提言した「霊的ボリシェビキ」というオカルト概念を映像化した作品である。
あらすじ
壁にレーニンとスターリンの写真が飾られ、複数の集音マイクが設置された施設に7人の男女が集められた。
彼らの共通点は「人の死に立ち合ったことがある」こと。そこで行われるのは「あの世を呼び出すための実験」と称した心霊実験であった。
アナログの録音テープが回り始め、一人ずつ自分の恐怖体験を語り始める。
ゲスト達が次々に体験を披露するにつれ、施設内に次々に不可思議な現象が起こり始める。
漠然とした恐怖
今作の特徴として1番に挙げられるのは時間の短さ。映画としてはとても短い72分、むしろ映像作品であると言っても良いかもしれない。
その中で描かれるのは、自分の体験した“死”にまつわる話をする男女と霊媒師。
彼ら彼女らの目的も“あの世の何か”を呼び出す実験という非常に漠然としたもの、何故あの世の何かを呼び出さなくてはいけなかったのか?どうやって7人は集まったのか?
詳細は全く分からないままストーリーはぼんやりと、ただ確実にラストシーンへと繋がっていく。淡々とした中に一瞬挟まれる囁き声、裸足の足…正体を見せない現象がぼんやりとした恐怖を増幅させていく。
現在進行形
また今作の特徴の一つにシームレスで進んでいく展開が挙げられる。
予算の都合などでやむを得ず撮影されなかった再現ドラマの代わりに、演者がとにかく恐怖体験を“喋る“という形式。
コレはかなり思い切った演出ではあるが、ドラマを挟まなかったことで展開がシームレスとなり、結果として映画全体が現在進行形の話となったのだ。
現実にこの実験が存在しており、自分もその参加者をスクリーンを通して参加しているような錯覚を覚える。
霊的ボリシェヴィキとは
さて、今作を語る上で避けては通れないのはタイトルにもなっている『霊的ボリシェビキ』という言葉についてだ。
神道霊学研究家であり伝説のオカルト誌『復刊地球ロマン』編集長・武田崇元氏が提言した概念、「霊的」と「ボリシェヴィキ(=レーニンが率いた革命党派)」を組み合わせた造語である。
高橋監督はこの言葉に衝撃を受けタイトルにした作品を作らねばならぬと20年間温めていたアイデアであるとしながらも、いまだに言葉でどう表現して良いのか分からないという。
私がこの映画を見て、あえてこの「霊的ボリシェヴィキ」を言語化するのであれば「いくとこまで行っちゃった尖りまくりホラー」だ。
かっこいい言葉を馬鹿みたいな言葉に変換すんなよ!と憤られる方もいるかもしれないが、思っちゃったんだから仕方がない。
いくとこまで行っちゃった
何故いくとこまで行っちゃった、という表現になるのか。
まず「ボリシェヴィキ」という言葉の本来の意味から見ていくと、日本ではロシア革命時レーニンらのボリシェヴィキを“過激派”と呼んでいた。学生運動において自らをボリシェヴィキと呼ぶ者もいたという。
彼らは先鋭化した左翼であり、言ってしまえば「いくとこまで尖りまくっている」者たちだった。
次に映画の内容について見てみよう。
今作のような百物語形式は、普通ならば各々の語りと同時に回想シーンが挟まれ恐怖演出が多用される。
しかし今作は回想シーンを極限まで省き、映像のほとんどを登場人物の語りのみで済ませるという手法をとっている。
また、ストーリー展開を見ても詳しいことは何も知らされないし、不気味な現象に幽霊が現れて回答を示すこともない、全てを視聴者の解釈に任せるという選択だ。
端的に言えば「めちゃくちゃ尖ったホラー映画」なのだ。
この二点から私は『霊的ボリシェヴィキ』=『いくとこまで行っちゃった尖りまくりのホラー』であると定義した、異論は認める。
総評
一見ただただ演者が喋っているだけで、最後の最後で“あの世と繋がった”という描写だけが描かれる恐怖感の薄い作品に思える。
しかしその実、タイトルと内容の難解さと合わせて演出面でも非常に難しいことをやってのけている一本。
ただ、演出の都合上注目が集まる作品なだけに、演者のクオリティがそこまで高くなかったのが残念。特に霊媒師の助手役は演技してます感のネチャネチャ具合がちょっと気になってしまった。
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