1931年、スクリーンに現れた怪物に人々は恐れおののいた。
それからほぼ90年たち、その怪物は現代の我々に恐怖以外の警鐘を鳴らしているように思える。
あらすじ
フランケンシュタイン男爵家の嫡男である若き科学者ヘンリーは、生命創造の研究に没頭していた。
ヘンリーは助手のフリッツと共に墓地から盗み出した死体を接合し、彼に恩師であるウォルドマン教授の研究室から人間の脳を盗んでくるように指示する。
同じ頃、行方不明になったヘンリーの身を案じる婚約者のエリザベスは、共通の友人ヴィクターと共にウォルドマンの元を尋ね、ヘンリーが生命の創造を行っていることを聞き出す。
三人はヘンリーが籠る山奥の塔に向かい、彼の実験に立ち会うことになる。嵐の雷光を利用して高圧電流を浴びせられた死体は生命を得て目覚め、ヘンリーは狂喜する。
フランケンシュタインに関するトリビア
かの有名なフランケンシュタインであるが、実はあまり知られていないトリビアがあったりする
原作小説との違い
前述の通り映像化の百年も前に出版された原作であるが
31年版映像作品の本作とは内容にかなりの違いがある
原作小説フランケンシュタインの怪物
- 「理想の人間」創造が目的
- 醜い姿
- 数カ月で複数言語をマスターする知性
- 復讐のために人を殺す
- 自殺する
31年版フランケンシュタインの怪物
- 「生命創造 」が目的
- 醜い姿
- 喋れないウドの大木
- 特に理由がないが人を殺す
- 風車ごと燃やされる
全体的にただただ恐怖を与えるような内容に改変がなされている
しかし、小説版も31年版もよくよく見れば一貫したテーマがある
人間のエゴが生んだ怪物
そのテーマというのが「人間のエゴの醜さ」だ
人間の欲望によって生み出された醜い怪物は誰からも必要とされず、
疎まれ、蔑まれ、そして創造主であるフランケンシュタインを殺害して自分も殺される。
怪物が初めて光を感じて手を伸ばすシーンにはその悲哀が込められている気がする。
本作を見れば身から出た錆だという感想を抱き、自分とは遠い話と思うだろう、しかしこれが荒唐無稽なフィクションであるからだ。
現代でもフランケンシュタインの怪物は存在すると私は思う。
現代版アインシュタインの怪物
人間のエゴで生み出され、結果必要とされずに殺されていく
現代でその最たるものがペットショップの生体販売だ
フランケンシュタインの怪物とは対照的に、人間に気に入られるよう遺伝子レベルまで蹂躙され
狭くストレスのかかるガラスケースに入れられて、不必要と判断されれば殺処分される。
筆舌に尽くしがたい理不尽がこのICT社会になってもまかり通ってしまっている。
人間は本質的に1931年から進化していない。
にほんブログ村
コメント