万引き家族との比較として
2年連続で同じようなテーマを持った作品が受賞しましたが、『万引き家族』と『パラサイト半地下の家族』にはかなりの差異があります。
前提として一番の大きな違いはジャンルです。前者の作品は日本に今もあり、これから増えていくのかもしれない事象を鋭く描いた”日常モノ”でしたが、後者はブラックコメディでした(ただし前半のみでしたが)。
国内が抱える”持つもの”と”持たざるもの”の違いを面白おかしく描写し、越えようのない差を描きだす。
前者の作品では、”持たざるもの”のみの日々の場面や心情をつぶさに描き出していましたが、この上下の構造や対立までは描きませんでした、もしくは意図的に描かなかったのかもしれません。閉塞感漂い、無力感が充満した現代日本と違い、市民革命を経験したことのある国特有のテンションも感じることが出来る作品です。
考察
作中には様々な印象的なアイテムや人物、事象が登場してきます。
石
冒頭ギウが大学生の友人から譲り受けた石。
受験のお守りや芸術的価値があるとされるものですが、貧困にあえぐキム一家には無用の長物でしかありませんでした。信仰は金銭は関係ありません、しかし芸術は明日食うに困るような層の市民に安らぎを与えるモノではありません、即物的ではありますが、芸術とは富裕層のモノということを暗に示唆しています。
中盤ではギウが縋るように持つ場面がありますが、無用な長物である石をなんとか自分のモノにしよう、俺なら理解が出来るんだと言い聞かせているようにも見えます。
結果この石が終盤でどのように扱われるか、それが全てを表しているような気がしました。
洪水
持つもの・持たざるものの区別をまざまざと見せつけられる印象的なシーンに、洪水のシーンが出てきます。
旧約聖書の時代から”洪水”というのは貧富や繁栄のリセット機能を持っていました。しかし治水技術の発展から、現代では洪水によって被害を受ける地域・受けない地域、手入れされていない半地下・造成された高台の高級住宅地という格差が生まれました。
天災によって被災するかどうか、その程度でさえも持つもの・持たざるものによって差が出来てしまうのです。
地下のとある人物
物語の結末にかかわる部分なので明言はしませんが、作中に登場する人物で一番印象的な人物です。
妄信的に上を崇拝し、良いように使われる。キム一家がまだ日の目の当たる貧困家庭なのだとするとこの人物はさらに下層、メディアですら取り上げることのない国の暗部のメタファーです。
邦画であればただ惨たらしく死ぬような役柄なのですが、そこは韓国という市民革命があった国特有というか日本が情けないというか、一矢報いる行動を起こします。
もちろん暴力に頼る反抗は決して褒められたものではありませんし、国内でそんなことが起こってほしいとは全く思っていないのですが、筆者はどうしてもこの人物に日本の氷河期世代や引きこもりを重ねてしまいました。
総評
レコード大賞のような陳腐化した権威主義は大嫌いなのですが、さすがパルムドール、韓国国内のみならず世界の世相を斬った良質なブラックコメディ作品でした。ジャンルさえ違えどアジア版『アス』といわれるのも頷けます。
自分たちが住む町と似たような街並み、同じような人種の人たち、テーマも似たような作品にも関わらず『万引き家族』と比較すると国民性の違いが浮き彫りになるのも面白いですね。
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